暮らしの中で健康になるまちづくり【前編】-ゼロ次予防で健康寿命の延伸へ
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「毎日に運動を取り入れたいけれど、習慣化するのが難しい」「離れて暮らす両親のフレイルが気になる」など、健康や運動に関するお悩みをお持ちの方も多いのではないでしょうか。
もし、“暮らしの中で健康になるまち”があったら、理想的ですよね。実は今、健康長寿社会の実現を目指し、産官学民共創で「健康になるまち」の研究がおこなわれています。
今回は、理学療法士として活躍されたのち研究の道へと進み、現在は「健康になるまちづくり」に取り組まれている、千葉大学予防医学センターの井手一茂さんにお話を伺いました。
【特集】暮らしの中で健康になるまちづくり
井手さんの歩み
まずは、理学療法士として働かれていた井手さんが、研究者になろうと思ったきっかけを教えてください。
井手さん:退院された患者さんがまた病院に戻って来てしまったり、退院の話が出た患者さんに再び症状が出てしまったり……患者さんの身体機能へのアプローチだけでは難しい部分があると思ったのが、一つ目の気づきでした。
また、私は九州出身なのですが、田舎で過ごす祖父母や親戚の晩年を見て、誰がどこに住んでいても適切な健康づくりや介護予防の取り組みに参加できたり、必要な医療や介護が受けたりできる仕組みを整備することが、とても大切なのではないかと気づいたのが二つ目です
大腿骨の骨折を契機に認知症が進んでしまった祖母。末期がんのため最後に家で過ごすことが叶わなかった祖父。適切な専門職の関わりがそこにあれば、もしかすると異なる結果になったかもしれません。環境から変えていくという視点の大切さに気づかされました。
一方で、直接的なきっかけとなったのが、当時勤めていた病院から、リハビリテーションで地域貢献をおこなうという方向性が出されたことです。そこで、行政や社会福祉協議会の方々と地域づくりに関わらせていただき、「まちづくり」の大切さを体感しました。
そして、個人の思いや勢いではなく、体系的に意味があることをしたいと思ってアンテナを張ったところ、健康になるまちづくりに取り組まれている千葉大学予防医学センターの近藤克則教授(当時)の存在を知ったのです。そこで30代で大学院に入り、研究を始めました。
理学療法士としてのご経験と今の研究内容が、地続きでいらっしゃることがよくわかりました。今の研究の現場でも、理学療法士としての経験が生きていると感じることはありますか?
井手さん:今は研究職ですが、ある日、ふと気づいたんです。理学療法士は、リハビリテーション専門職として、患者さんが何に困っていて、それをどういう風に解決をしていけばいいのか考えます。一方、まちづくりにおいては、地域の社会課題を解決するべく取り組みます。
これは、対象が目の前の患者さんなのか、その人が暮らす地域なのかという違いであって、いかにポテンシャルを発揮するかというところを含め、とても似ているなと思いました。
なぜ今、「健康になるまちづくり」なのか
まずは「健康になるまちづくり」のイメージを教えていただけますか?
井手さん:近年、個人の身体活動は、その人を取り巻く環境によって影響を受けることが明らかになってきています。これまで、病気予防の観点から個人の努力や行動変容が啓発されてきましたが、身体活動の促進ができる環境があれば、個人が意識しなくても運動量を増やすことができます。それが、暮らしの中で「健康になるまちづくり」の目指しているところです。
「健康になるまちづくり」は、政策としても進められていると思いますが、その社会的背景と意義をお聞かせいただけますか。
井手さん:2024年度から第5次国民健康づくり対策である「21世紀における第三次国民健康づくり運動(健康日本21(第三次))」が開始されています。これは、2024〜2035年度までの国が定めた指針です。
「健康寿命の延伸と健康格差の縮小」という最終目標に向かって、「個人の行動と健康状態の改善」、「社会環境の質の向上」、「ライフコースアプローチを踏まえた健康づくり」などが示されましたが、その中でも注目されているのが第三次から追加された「自然に健康になれる環境づくり」というコンセプトです。社会環境に主眼が当たっているというのが、従来とは異なる大きな点です。
実は、第一次〜第二次の「健康日本21」では、運動に関する行動変容については特に、目標値をほとんど達成できませんでした。一般的にも、不健康でいるよりは健康でありたいと大半の方が考えると思います。しかし、歩くことは健康にいいと言われて久しいものの、なかなか歩く量を増やせないのが人間です。健康な人に行動変容を促すのは難しい側面があります。
そこで、個人ではなく、個人を取り巻く環境の方にアプローチすることで疾患を予防していこうという指針が出されたのが、先出の「健康日本21(第三次)」です。こちらには、「ゼロ次予防」の視点が取り入れられています。「ゼロ次予防」とは、周囲を取り巻く環境を整えることによって、人々の行動や健康への意識に働きかけ、病気の予防や健康増進を図るアプローチのことを指します。
千葉大学予防医学センターでは、2007年の開設当初より、健康な身体、健康な心、健康な環境を基盤にした予防医学の研究・普及、まさにゼロ次予防に取り組んできていますが、この「健康日本21(第三次)」が出されたことで、「自然に健康になれる環境づくり」の推進に貢献できる可能性が増したと考えています。
行動変容することが難しいならば、自然とできるよう環境を整えるというのは、とても意義のある取り組みだと思います。実際にどう実現されていくのでしょうか。
井手さん:行政の方が中心に計画立案をして実行していくことになりますが、行政だけでは難しいため、大学や企業など、様々な主体を巻き込んで進めていくことが理想だと思っています。
私たち千葉大学予防医学センターとしては、環境にアプローチすることで人の行動が変わること、そして、健康状態にも変化が見られることを調査し、エビデンスを確立していく役割を担っています。そして、エビデンスがあると証明されたことを実行する、つまり、社会実装していくにはどうしたらいいのか、という実現への後押しも求められています。
実は、私自身も行動変容を起こしてみようとラジオ体操を毎日やることに取り組んでいます。3分くらいの簡単な体操ですが、忙しい時には「今日ぐらいいいかな……」と心が折れそうになることもあります(笑)。
「半年以上定着しているか」というのが行動変容の定義にあるのですが、今やっと147日目です(取材時点)。半年にはまだ届いていないので、なかなか行動変容するのは難しいなと身をもって感じています。だからこそ、日々の生活に精一杯な方でも、自然と健康になるような行動を取れてしまう環境がとても大切ですし、今後、普及していきたいですね。
井手さんご自身も行動変容にチャレンジされているのですね。では、「健康になるまちづくり」とは、具体的にどんな環境を整えていらっしゃるのでしょうか。
井手さん:身体活動でいうと、イメージがつきやすいのが歩行でしょう。歩きやすい環境の(ウォーカブルな)まちをつくることで、そこに住んでいる人の歩行が増えて、身体活動が自然と増加し、健康につながっていくといわれています。
環境にもいろいろな側面があり、歩道があったり、斜面があったり、でこぼこしていない道があったりといったハード面の観点のほか、目的地があるかどうかも重要です。
ただ一人で歩こうと思っても、モチベーションを維持するのは難しいと思いますが、生活に必要な生鮮食料品が購入できる店舗や、友達や知り合いと会える場所など、身体活動を促す動機といった、ソフト面に関する観点も必要だと考えます。
さらには、スマートフォンなどを利用したモバイルヘルス、いわゆる情報通信技術(ICT)も上手に活用しながら、自然に身体活動を促すような仕掛けも大切になってくるでしょう。
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