【後編】もしバナゲーム開発者インタビュー 「もしものとき」について考えるきっかけを

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「自分の余命が半年〜1年であるとしたら……」そんな設定で、そのとき自分はどんなケアを望むか、誰に寄り添われたいかなどを考え、周囲に共有するカードゲーム、「もしバナゲーム」。病院に来る必要のないうちから、そのような不測の事態について想像するきっかけを作りたい――。そんな思いで医師たちが開発しました。

「もしものとき」に備えて、意思決定のできるうちに自分が望む医療や介護について話し合う過程を「アドバンス・ケア・プランニング」と呼びます。健康なうちからそのような想像をするのは難しいかもしれませんが、「もしバナゲーム」を使えばカードゲーム形式で考え、話し合うことができるのです。

前回の記事では、このゲームの開発者の1人である蔵本先生にインタビューをし、「もしバナゲーム」が生まれた経緯や開発時に込めた思いをお聞きしました。最終編となる今回は、先生が特に印象的だったゲームエピソードや、教育現場での活用事例についておうかがいしていきます。

ゲームを通じて印象に残っているエピソード

「もしバナゲーム」の開発者である3名の医師。今回インタビューにご協力くださった蔵本浩一先生(左)と、原澤慶太朗先生(中央)、大川薫先生(右)

ゲームを通して、先生はさまざまな人の感想を聞かれてきたかと思いますが、その中でも特に印象に残っている感想やエピソードはありますか?

蔵本先生:印象深かったのは、海外の方と「もしバナゲーム」をおこなったときのエピソードですね。その方は、「祈る」と書かれたカードが欲しかったけれど、結局取れなかったんですが、感想を共有する場面で「祈りのカードは絶対に欲しい、むしろこれ以外に必要なものがない」と言い続けていました。

「このカードだけは、皆が取れるようにすべきだ」という新たなルールまで提案されたりして、進行役の私が「これはゲームなので……」といくら説明してもわかってくれませんでした(笑)「もしバナゲーム」の日本版でも、神や祈りに関するカードはアメリカ版同様にあるので、プレイヤーの文化的、宗教的な背景の違いが国によって強く出るかもしれないと思いましたね。

日本へ導入する際に、文化背景に合わせた修正について悩まれたと前回のインタビューでもおっしゃっていました。

【中編】もしバナゲーム開発者インタビュー 開発時に込めた思いと参加者からの反響

蔵本先生:神様や祈りに関連したカードは悩んだ末に残したわけですが、興味深いことに、日本人で無宗教の方が神や祈りのカードを手元に残すことがあります。

例えば、祈りのカードを選んだ20代の女性に選んだ理由を聞くと、「身体が動かなくなって、できることが減っていったとしても、祈ることだけはできると思うから。家族や大切な人たちがあまり悲しまないように、そう祈りたい」と話していました。

自分が必要としないカードを選んだ人にその理由を聞くことで、心が揺さぶられるような瞬間があります。結果、そのカードの捉え方がガラッと変わったりもするのです。

選んだ理由を深掘りすることによって、その人の大事にしているもっと深い部分に辿り着けるのかもしれないですね。先生自身は、このカードでゲームをしたときどのような感想を持ちましたか。

蔵本先生:すでに100回以上「もしバナゲーム」をやっていると思いますが、何度やっても自分の答えというのは固まっていません。医療従事者という立場でさまざまな現場を目にすることで、同じカードでも日によって捉え方が変わったり、「この前はどうでもよかったのに、今日はこのカードの方が大事だな」と思うことがあります。表面的に大事にしたいことは、意外と日々変化するんだなと感じています。

むしろ「何を選択するか」というのは、本当の最期まで決まらないものなのかなとも考えるようになってきました。考えて確実に決定できるという類のものではなく、どれだけ考えても状況や環境で変化していくものなのかも知れないな、と。

だからこそ医療現場の人間としては、患者さんやそのご家族との関係性の中で、都度模索し続けなくてはならないと思っています。考えても決定しないものだとしても、話し合う意味はあります。確実なことはない中でもコミュニケーションを取っておくことで、信頼関係を作っていけると思うからです。一度で納得せず、何度もプレイをしてみるといいと思います。

高校3年生の授業でも活用

子どもや学生などの教育現場で「もしバナゲーム」を活用した事例はあるのでしょうか。

蔵本先生:先日、とある先生からのリクエストで、高校3年生の政治経済の授業で、その先生が実験的にこのゲームを導入するという場面に立ち会いました。

後日、生徒たちの感想をまとめて送ってもらったのですが、さすが高校3年生にもなると、それぞれが自己と向き合って考え、それらを交わすことでさまざまな気づきがあったようです。活用事例としてはよかったと思っています。

今後、教育の現場での活用を広げていきたいですか。

蔵本先生:基本的には、このゲームに興味を持てるような方には、老若男女を問わず、時間と心に余裕があるときに、触れてもらいたいと思っています。ただ、若いといっても、小中学生にまで勧めてよいかはわかりません。「仮に」とはいえ、「自分が半年後に亡くなる」ことを前提にして物事を考えるのは、その年代では難しいような気がしますし、心理的な負担やその影響も無視できないと思うからです。

主体的な参加ができる年齢、少ない経験ですが高校生くらいなら、学校医や保健の先生、専門家などのフォローがあれば、試験的におこなってもいいかなとは思っています。

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