バリアフリー地図アプリ開発者 織田友理子さんに聞く(1) 希少疾病「遠位型ミオパチー」発症を経て、結婚・出産へ

車椅子生活を送る方にとって、外出先のバリアフリー情報はとても重要です。「どの道なら車椅子で通れるのか」「どこに多目的トイレが設置されているのか」などの情報を事前に知ることができれば、安心して外出することができます。

2017年、そのような多くの人々の要望に応えるサービスが誕生しました。バリアフリー地図アプリ、「WheeLog!」です。このアプリは世界中どこからでも無料で投稿・閲覧することができ、Googleマップ上にあるバリアフリー情報にアクセスできます。

今回は、このアプリの立案・開発者である織田友理子さんにインタビューいたしました。織田さん自身、「遠位型ミオパチー」という希少疾病と闘い車椅子生活を送っています。遠位型ミオパチーは体幹から遠い末端の筋肉から全身の筋肉が衰えていく病気で、日本に400人ほどしか患者がいないとされている難病です。

この連載では、織田さん自身のご病気のことや、このアプリを開発した経緯、そして周囲の方々との関わり方などをお聞きしていきます。

第1回目の今回は、病気の発症から、それを受け入れ、結婚、出産に至った織田さんの人生に触れていきたいと思います。

一人で不調に悩んだ2年間。難病を発症するも「病名がついてほっとした」

ご病気の「遠位型ミオパチー」について、織田さんが症状を自覚し始めたのは、いつ頃だったのですか。

織田さん:病気の予兆とも言える症状を自覚し始めたのは、20歳のころでした。当時私は公認会計士を目指す大学生で、資格取得のためにダブルスクールをして忙しい毎日を送っていたのですが、なぜかよく転んだり足元がおぼつかなくなったりして、違和感を抱き始めました。

ただ、その時はそれが重大な病気であるという考えには結びつかず、運動不足のせいかなと考えていました。そこで、当時住んでいたマンションの階段を使ったり、犬の散歩を日課にしたりして少しでも症状が良くなるよう試みました。ところが、症状は一向に改善されなかったのです。次第に、友人たちと同じペースで歩くことができなくなり、大学でも集団行動を避けて一人で過ごすようになっていきました。

思い当たる原因がない分、不安も大きかったでしょうね。受診のきっかけは何だったのですか。

織田さん:「これは何かの病気なのか、自分の怠けなのか」という自問を、2年ほど繰り返していましたが、親の勧めをきっかけに受診しました。家の階段を昇る様子を見た親から「脚が細くなってきている」と言われたのです。外見の変化も出てきはじめたことで、いよいよ医療機関を受診しようと決心しました。そこで診断されたのが、「遠位型ミオパチー」という聞き慣れない病名でした。

病名を聞いた時は、どのように思いましたか。

織田さん:当時の話をすると、「さぞ辛かったでしょう」というお言葉を頂くことが多いのですが、実際はそうでもありませんでした。事前に病気をインターネットで調べた時に「これかな」と何となく思っていた病名だったので、ああ、やっぱりと思ったくらいです。

むしろ、病名を告げられた時は、安心した気持ちの方が強かったです。きちんと理由が見つかってホッとしたんです。病名がついているということは、医学の中に症例が存在していて、少なからず研究されているということでもありますから。なので、気持ちさえ負けなければ私は大丈夫だと思いました。

「早くしないと子どもを産むのが難しくなる」 突きつけられた現実

22歳の若さでそのような強い気持ちを持たれていたんですね。

織田さん:病名を宣告された時は気落ちすることもあまりなかったのですが、泣き崩れるほど途方にくれたこともありました。それは、24歳の時、お医者様に「病気が進行していくと、子どもを産むことが難しくなりますよ」と告げられた時です。

今の夫とは学生時代からのお付き合いで、彼も検診に同席してくれていました。ある日、お医者様が「(二人は)結婚は考えていないの?」と尋ねてきたのです。私は笑いながら、「そんなのまだ早いですよ」と冗談めかして答えたのですが、その時お医者様の顔が曇りました。そして、彼に席を外すように言った後、私に、「将来出産を考えているなら早いほうがいい」と告げたのです。

病室を出た瞬間、私は泣き崩れてしまいました。自分の思い描いていた人生を叶えることが難しくなっていることを思い知ったのです。彼を縛ることもできないと思った私は、彼とはお別れをしなくてはと考えました。ただ、どう伝えたらいいかわからず、しばらくは無言で泣いていました。

彼には、しばらく話せなかったのですね。

織田さん:ええ。でもいつまでも黙り続ける訳にはいかず、しばらく経ってから別れを覚悟して全てを伝えました。ですが、彼は、「じゃあ、結婚は今だね」と言ったのです。そこからは、両親を交えて結婚話がトントン拍子に進んでいきました。

私の中では、「これで子どもができなかったらどうしよう」という不安が芽生えたこともありましたが、彼は「子どもを作るためだけの結婚ではない」と言ってくれて、その時、本当に前向きな思いでこの人と結婚しようと思いました。

そして25歳でご結婚、26歳で息子さんをご出産なさったということですね。

織田さん:はい。ありがたいことに順調に子どもを授かりました。ただ、出産時は切迫早産で4ヶ月ベッドに寝たきりの生活を余儀なくされました。

退院する頃には全身の筋力がかなり弱くなってしまい、息子を抱っこして立って歩くのに不安がある状態でした。そこで、安全であることを優先して息子を膝に乗せて車椅子で移動するようになりました。車椅子生活がスタートしたのです。

初めての車椅子生活。そして世の中に伝えたいこと

初めての育児に、初めての車椅子生活。大変なことが多かったのではないでしょうか。

織田さん:当時は、どのルートなら車椅子で通行できるかなどということを全く知らなかったので大変でした。また、手動の車椅子を使用していたのですが、握力が本当に弱っていたため、自力で傾斜のあるスロープを昇るのが困難でした。自ずと外出は夫が同行できるタイミングに限定され、週1回外出できればラッキーという引きこもりの生活を1年半ほど送っていました。

状況が変わったのは、電動車椅子に切り替えてからです。握力がなくても傾斜を昇れるようになり、長時間の外出も楽にできるようになりました。

ご自身が車椅子生活を送る中で、多くの気付きがあったかと思います。車椅子ユーザーとして世の中に知ってもらいたいことはありますか。

織田さん:車椅子生活をしていないとなかなか気付きにくい点も多いのですが、例えば、多目的トイレをできるだけ使わない、障がい者用駐車スペースを使わない、電車の車椅子専用スペースを空けてほしい、などですね。また、エレベーターや手動の扉を開けて待っていてくれる方は本当にありがたいです。

このようなちょっとした心遣いがあると私たちは生活しやすくなるので、頭の片隅に置いて下されば嬉しいです。今お話しした内容などは、わかりやすく世の中に発信しようと思い、YouTubeの「車椅子ウォーカー」というチャンネルにアップしています。こちらもチェックしてもらえると嬉しいです。

車椅子ウォーカー:車椅子ユーザーが喜ぶ5つのサポート(YouTube)

織田さん夫妻が息子に伝えていきたい思い

写真:2017年8月、出張先のロサンゼルスにて

ここまで、織田さん自身の人生について詳しくうかがいました。大切なご家族である息子さんには、どのように成長していって欲しいですか。

織田さん:先日、ふいに「お母さんたちの活動以外で、世の中の役に立つ仕事はあるの?」と聞かれました。質問の真意はわからないですが、もしかしたらそのような社会的活動に興味があるのかもしれません。息子には人の痛みを感じて手を差し伸べられる人になってくれればと願っています。そして、どんな状況でも自分の力を信じてほしいです。

旦那さん:僕も、今生きているということに感謝しながら、自分のなりたい仕事に就いて、大好きなことで生きていってほしいと思っています。

ご病気の発症、そして結婚・出産のお話を通して、前向きに困難を乗り越えていく織田さんのポジティブな人生観と陰ながら支える旦那さんの姿が見えてきました。次回は、車椅子生活で実際に感じた不便さが、現在のご活動にどう繋がっていったのかに話を進めます。

PROFILE

織田 友理子(おだ ゆりこ
車椅子ウォーカー 代表
NPO法人PADM 遠位型ミオパチー患者会 代表
一般社団法人WheeLog 代表

20代の時に発症した希少疾病「遠位型ミオパチー」により車椅子生活を送ることになる。患者会代表として、また、「WheeLog!」代表として国内外で活動をおこないながら、現地で車椅子の実地調査をおこなう。一児の母。