【前編】バリアフリー地図アプリ開発者 織田友理子さんに聞く 希少疾病「遠位型ミオパチー」発症を経て、結婚・出産へ
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初めての車椅子生活。そして世の中に伝えたいこと
初めての育児に、初めての車椅子生活。大変なことが多かったのではないでしょうか。
織田さん:当時は、どのルートなら車椅子で通行できるかなどということを全く知らなかったので大変でした。また、手動の車椅子を使用していたのですが、握力が本当に弱っていたため、自力で傾斜のあるスロープを昇るのが困難でした。自ずと外出は夫が同行できるタイミングに限定され、週1回外出できればラッキーという引きこもりの生活を1年半ほど送っていました。
状況が変わったのは、電動車椅子に切り替えてからです。握力がなくても傾斜を昇れるようになり、長時間の外出も楽にできるようになりました。
ご自身が車椅子生活を送る中で、多くの気付きがあったかと思います。車椅子ユーザーとして世の中に知ってもらいたいことはありますか。
織田さん:車椅子生活をしていないとなかなか気付きにくい点も多いのですが、例えば、多目的トイレをできるだけ使わない、障がい者用駐車スペースを使わない、電車の車椅子専用スペースを空けてほしい、などですね。また、エレベーターや手動の扉を開けて待っていてくれる方は本当にありがたいです。
このようなちょっとした心遣いがあると私たちは生活しやすくなるので、頭の片隅に置いて下されば嬉しいです。今お話しした内容などは、わかりやすく世の中に発信しようと思い、YouTubeの「車椅子ウォーカー」というチャンネルにアップしています。こちらもチェックしてもらえると嬉しいです。
織田さん夫妻が息子に伝えていきたい思い
ここまで、織田さん自身の人生について詳しくうかがいました。大切なご家族である息子さんには、どのように成長していって欲しいですか。
織田さん:先日、ふいに「お母さんたちの活動以外で、世の中の役に立つ仕事はあるの?」と聞かれました。質問の真意はわからないですが、もしかしたらそのような社会的活動に興味があるのかもしれません。息子には人の痛みを感じて手を差し伸べられる人になってくれればと願っています。そして、どんな状況でも自分の力を信じてほしいです。
旦那さん:僕も、今生きているということに感謝しながら、自分のなりたい仕事に就いて、大好きなことで生きていってほしいと思っています。
ご病気の発症、そして結婚・出産のお話を通して、前向きに困難を乗り越えていく織田さんのポジティブな人生観と陰ながら支える旦那さんの姿が見えてきました。次回は、車椅子生活で実際に感じた不便さが、現在のご活動にどう繋がっていったのかに話を進めます。
PROFILE
織田 友理子(おだ ゆりこ)
車椅子ウォーカー 代表
NPO法人PADM 遠位型ミオパチー患者会 代表
一般社団法人WheeLog 代表
20代の時に発症した希少疾病「遠位型ミオパチー」により車椅子生活を送ることになる。患者会代表として、また、「WheeLog!」代表として国内外で活動をおこないながら、現地で車椅子の実地調査をおこなう。一児の母。
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