【第3回】東日本大震災から10年〜理学療法士として今伝えたいこと:支援活動を振り返って No.2 小田智樹さん

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3月は東日本大震災を振り返って、理学療法士が読者のみなさまに今伝えたいことを取り上げています。

今回から2週連続で、“支援活動を振り返って”をテーマに、震災時に理学療法士として被災地に向かい活動された方々を2名ずつご紹介していきます。今回は、現在も東北の被災地への支援活動を続けている理学療法士(小林優人さん、小田智樹さん)にお話を伺いました。こちらの記事では小田智樹さんの体験談をご紹介します。

小林優人さんの記事はこちら

PROFILE

小田 智樹さん(おだ ともき)

小田 智樹さん(おだ ともき

■お住まいの都道府県:宮城県
■現在のお仕事:訪問看護ステーション勤務
■支援活動のおもな期間と地域
 2012年5月/10月:宮城県南三陸町
 2013年2月/7月/10月:宮城県石巻市・宮城県気仙沼市

支援し続けることで被災地の変化を見届けたい。

小田さんは継続的な支援活動のために宮城県に移住されたと聞き、驚きました。まずは東日本震災発生時の状況やボランティア活動に参加されたきっかけを教えてください。

小田さん:震災発生時は大学の卒業式に参加していました。建物の窓が割れ、地域一帯が停電となったため、式が途中で中止となりました。その後、電気がつかないままアパートに戻り、朝方についたテレビで被災地の現状を知りました。

そのときは漠然と何をしたらいいのかわからなかったものの、何かしなければならないという思いにかられていました。ただ同じような思いを持った人が周りにいなかったため、そのときは実際に行動を起こすまでには至りませんでした。

その後、理学療法士資格を取得したことで、改めてボランティアに参加したいという気持ちが沸き上がりました。しかし、日本理学療法士協会の募集条件に当てはまらなかったため、まずは瓦礫処理のボランティアで南三陸町へ、その後はリハビリのボランティア団体に個人で連絡し、複数回ボランティアに参加しました。

何度も被災地に足を運ばれたんですね。ボランティアの具体的な内容について教えてください。

仮設住宅に住んでいる高齢者の方々をサポートする小田さん

小田さん:1つ目は、仮設住宅の集会所での集団リハビリテーションです。参加された方にはリハビリテーションのほか、血圧測定、困りごとや不安などの確認をし、必要な場合は関係者に伝えていました。

2つ目は支援物資で届いた歩行補助具の高さを調整して、仮設住宅に住まわれている方にお渡ししていました。加えて、簡単なご自宅の環境調整の提案もさせていただきました。

3つ目は、自宅でできる自主トレーニングの提案です。住民の方の身体の状態に合った運動を提案し、関係機関の方には定期的な確認を依頼していました。

直接現地に行って支援ができないときは、当時の職場の先輩方に相談し、親睦会や忘年会などの際に支援金のお願いをさせてもらいました。集めた支援金はただ単にお金を送るのではなく、どのように使用されるのかが明確にわかる所に送金をしていました。

リハビリ、トレーニングの提案、歩行補助具の調整など、資格を最大限に活かして活動をされていたんですね。東日本大震災でのボランティアを通して、理学療法士の資格(または学んだ内容)のどのような点が役立ったと思いますか。

小田さん:ICF(国際生活機能分類)(※)の観点で物事を捉えられたことです。それにより、失われた部分のみにフォーカスすることなく、残された機能(コミュニティや社会資源)に目を向けながら支援活動をおこなうことができたと思います。

また、相手のリズムに合わせてコミュニケーションを取ることができたのも、この仕事だからこそではないでしょうか。どうしてもこちらから何か話さなければという気持ちになりがちですが、できる限り相手の話に耳を傾けサポートすることができました。

(※)編集部注:2011年にWHO(世界保健機関)により採択された、人間の生活機能と障害についての分類法のこと

理学療法の基本的な考え方が役に立ったのですね。東日本大震災での支援活動を通して、小田さんの活動や心境にどのような変化がありましたか。

仮設住宅の集会所でおこなった集団リハビリテーションの様子

小田さん:ボランティアに参加している中で、その活動が被災地を支える“手段”から“目的”にすり替わってしまっている場面を見かけたり、住民の方々からもそのような話を聞くことがありました。また、自分自身も何度もすり替わりそうになることがありました。

そうなってしまうと、どんなに良い活動でも、住民の方々にとっては「あの活動は自己満足だ。急にやってきて満足したらすぐにいなくなるんだ。かき乱すくらいなら来ないで欲しかった」という気持ちにさせてしまうことがあると知りました。そのため、長期的な視点で地域に関わり続け、変化するニーズに絶えず応えていく必要があると感じました。

加えて、被災地がどのように変化していくのかを自分の目で見続けることが重要だと感じ、2014年に東京から宮城県に移住しました。移住したことで今まで関わることがなかった他業種の方々と活動する機会が増え、視野が広がっていったと思います。

移住してどのような支援活動をおこなっているのでしょうか。

小田さん:前職(東京)の仲間に実際に被災地の実情を知ってもらうため、ボランティアに来てもらいました。また、2017年には宮城県登米市にリハ専門職によるボランティア団体を設立しました。保健所や介護保険課、健康推進課などと月1回の会議をおこない、市民のみなさんへの健康指導や体力測定などをおこなっています。

移住したことで活動の幅が広がったんですね。東日本大震災から10年が経過した今、当時のご自身の活動を振り返ってどのように感じていますか。

小田さん:自分がボランティアに参加して、得たものや気づきをもっと共有するべきだったと感じています。具体的には職場やSNSを使用し、知ってもらう活動をおこない、もっと支援に参加する人数を増やしていければよかったなと思います。

今、リガクラボの読者へ伝えたいことはなんですか。

小田さん:ボランティアと聞くとハードルが高いと感じるかもしれませんが、決して特別なものではなく、行かなければわからないことが多々あります。そしてその経験を通して次は考えることができるようになり、行動を起こし、同じような志を持つ人とつながっていくことができます。

ぜひ一度でいいので支援活動に参加してみてください。今からでも遅いことはありません。

小田さん、インタビューにご協力いただきありがとうございました。

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