【前編】内科医・小説家 南杏子さんインタビュー~終末期医療への向き合い方

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みなさんはご自身やご家族の“最期の過ごし方”について考えたことはありますか?

今回リガクラボでは、内科医でありながら小説家としての顔を持つ、南杏子先生にインタビューしました。南先生は、2016年に著書『サイレント・ブレス』でデビューされた後、『ディア・ペイシェント』や『いのちの停車場』など医療にまつわる作品を発表されており、『いのちの停車場』は今年5月に映画化されました。

そこで、南先生には『サイレント・ブレス』や『いのちの停車場』の題材となった“終末期”について伺いました。今回を前編とし、全2回にわたってインタビューの内容をご紹介していきます。第1回目の今回は、なぜ南先生が終末期医療を題材にした小説を執筆したのか、終末期への考え方、終末期を迎えた患者やそのご家族との向き合い方などを、南先生のご体験を交えながらお伝えしていきたいと思います。

編集者を経て医師へ。30代からの挑戦

南先生が社会人を経て、医師を目指したのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

南先生:もともと大学卒業後は出版社で編集者として働いていたのですが、結婚後、夫の転勤を機にイギリスに拠点を移しました。イギリスに暮らす中で、アロマテラピーの学校に行きました。そのとき勉強した科目の中に「解剖生理学」があったのですが、それがとても興味深い内容だったんです。

思い返してみると幼少の頃から、人の身体ってどうなっているんだろうと不思議に思い、人体の図鑑をボロボロになるまで読み込んだりして、非常に興味を持っていたんです。でも、医師になるという発想はなく、自分のリアルなキャリアとしては考えていませんでした。

そんな中、31歳の頃ですね、イギリスで日本の新聞を取り寄せて読んでいたのですが、大学を出た後に医学部に学士入学した方の小さな記事が載っていたんです。試験科目は小論文、英語、面接と、通常の試験より科目が少なくても受けられるということで、これなら私にも学べるチャンスがあるかも!と思ったんですね。そこから医学部の学士編入を目指し始めました。

医師を目指し始めたときの、周りの方の反応はどうでしたか?

南先生:実は新聞の記事を見つけて教えてくれたのが、夫だったんです。夫は「(医師に)なりなよ!」と背中を押してくれました。

また、私の両親に育児を手伝ってもらったりと、環境にも恵まれていましたね。(医学部受験を)反対されるようなことはまったくといっていいほどなかったです。

終末期医療を経験し、今までの考えがガラリと変わったことがデビュー作のきっかけに

ご主人の後押しも受けて医師になられた後、『サイレント・ブレス』を書こうと思われたきっかけを教えていただけますでしょうか。

南先生:医師になってから最初のキャリアは急性期の病院での勤務でした。急性期の病院から終末期の病院に移ったとき、その医療内容の違いにとても驚いたんです。それは私にとって良い意味での驚きでした。急性期と終末期では医療そのものが180度違う、というくらいの感覚がありましたね。

私は18歳から20歳の間に、祖父を自宅で介護して看取った経験があるのですが、在宅介護は、する側も、される側も本当に大変なんですよ。ただ当時は、技術も設備もない家庭内でのことなので、それは仕方がないと思っていました。

しかし、終末期医療の現場に触れて、「あの時こうした環境で祖父を看てあげられたらよかったのに…」と思いました。高齢の患者さんが快適に過ごすための技術や設備がしっかりと整っていて、「こんな体の動かし方があるのか!」と、患者さんとの接し方一つひとつに感動したことを覚えています。自分の介護体験を振り返ってみて、「正解がここにあったんだ」と思いました。

医学部で教わる医療、教科書で習う医療とは、いわば「治すこと」を教える医療と言えます。「上手に死に向かう方法」は、教科書で勉強することはなかなかできません。一方で、終末期の病院では患者さんが亡くなる前の期間を支えますので、「この患者さんはどうやったらおだやかに死を迎えられるだろうか」ということを常に考えます。患者さんそれぞれに合った「終末期、『死』へと向かうまでの過ごし方」を考えるのは、難しい反面、とてもやりがいがあります。

そうした自分の中での驚きや感じたことを、『サイレント・ブレス』で描いたんです。

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