三浦豪太さんインタビュー(2)「できない理由ばかり挙げてもできなくなるだけ」父、雄一郎さんから教わった教訓

写真:アコンカグア登山中の三浦雄一郎さん

プロスキーヤーであり登山家の三浦豪太さんへのインタビュー第2回は、父・雄一郎さんから受けついだ、三浦ファミリー独自の健康法、そして子育て術などをお伝えします。

※インタビューの文中に登場する健康法などは、ご本人の体験に基づくものですので、リガクラボとして効果等を保証するものではございません。

ちょっと極端?三浦家に伝わる健康法とは

―三浦家と言えば、お父様の雄一郎さんも豪太さんと同じプロスキーヤー、登山家として今も現役で活動されていますね。活動をする上で、体調管理は欠かせないと思いますが、健康面でどんなことに気を付けていますか?

三浦さん:僕はおいしいものを沢山食べたら、その分運動すればいいと思っているのですが、年をとるほどに運動が難しくなってきています。食べる量は現役の時と変わらないのに、動く量が半分以下になっていますから。いろんなプロジェクトのたびに痩せていますけど、そのあとのリバウンドも結構ありますね。

―それはちょっと意外でした!プロジェクトごとに目標を立てて、運動していくイメージでしょうか?

三浦さん:そうですね。例えば、今回のアコンカグア登頂に関しても、5年ほどかけて近い標高のところでトレーニングをしていました。ただ、アコンカグアに限っては、その5年間の目標ではなかったんです。もともとの目標はチョ・オユー(標高8,201メートル。中国チベット自治区とネパール国境の山)を目指していたのですが、年齢制限でお父さんの登山は許可できませんと言われてしまいました。そうなるとふつう落ち込むし、人生って目標がないと風船がしぼんだような感じになってしまうと思うんですけど、お父さんは全くしぼむことなく、次の目標にアコンカグアを据えました。すぐ別の目標に向かって進んでいくのがうちのお父さん、三浦雄一郎らしさです。

―すぐに別の目標を見つけられたなんて、素晴らしいですね。85歳という年齢で登山をするだけでもなかなか一般の方には難しいと思います。
いつまでも元気に運動されている三浦雄一郎さんをはじめ、三浦家に伝わるトレーニング方法、健康法はありますか?

三浦さん:三浦家には、おじいちゃん(敬三さん)、お父さん、そして僕の3代でそれぞれ独自の健康法があります。

おじいちゃんの健康法は、100歳を超えてもやっていた運動で、『口開け体操』とか、ウォーキングの方法とかがあります。また、今では『インターバル速歩』という名がついている運動も、昔からやっていました。
インターバル速歩をやることで、普通のウォーキング以上に体力がついてきます。人間は歩く効率がすごく良くて、歩いているときはすごく省エネ。だからウォーキングは大したエネルギー消費にはならないんです。でも、加速をつけたり、あえて自分の筋肉を早く動かしたりすると全く変わってくる。おじいちゃんはそれを体験的に知っていたのか、普通のウォーキングだけじゃなくて速歩をやっていました。

お父さんはとても忙しい人なので、ながらトレーニングを欠かさずしていました。その最たるものが重りを付けて歩くヘビーウォーキング。普通重くても1.5キログラム程度を付けるんですが、お父さんは20キログラムの重りをつけて東京駅まで10キロメートルくらい歩いていました。エベレストに行く前は自転車にはまって、事務所のある北参道から高尾山まで自転車で行ったり…。
お父さんは極端な性格なので、どんどんエスカレートしていくんです。ダイエット法にしても、とある健康法を見てから「わしは肉しか食べん!」となって、「肉食系老人」というのを自分のブームにして、アコンカグアのキャンプでも肉を食べていました。

―強いこだわりと、健康に対する意識の高さがうかがえます…!では、雄一郎さんの健康法はお肉でしょうか?

三浦さん:肉、ヘビーウォーキング…パワフルですね。とはいえお父さんは研究熱心だから、いろんな本を読んで、柔軟に健康法を吸収していました。ただ、柔軟に変えることは変えるけど極端なので、一度いいと思ったことをとことんまでやらないと気が済まないみたいです。

父から影響を受けた、人生の教訓

―三浦家の皆様は、ご家族みなさんご活躍されていますが、お父様から教わって心に残っていることはありますか?

三浦さん:僕が24、25歳の頃、リレハンメルオリンピックの最終選考のときのことです。3人の候補まで絞られて、一つの出場枠を誰がとるか、という場面でした。直前の試合で転んで脚を強打し、足がパンパンに腫れてしまいました。公式練習にも出られず、最終試合まで1週間しかなく、どうにかしようと治療に通いましたが、最終的に医師からも「この状態では滑れない」と。足が腫れてスキー靴が履けないわけですからね。

実家へ電話をかけたら、最初はお母さんから「その状態なら無理しないで帰ってきなさい」と。しかし、お父さんに代わると「どうだ、足の調子は」って言うんです。内出血がひどくて、スキー靴すら履けないって伝えたら、「その足は折れているのか?」って言われて。「折れてはいないけど」と答えると、「じゃあ大丈夫だ、やけのやんぱちでどうにかしなさい」って(苦笑)。
足がパンパンに腫れてスキー靴も履けないし、足をつくのさえ痛いと言っても、「できない理由ばかり挙げてもできなくなるだけ、やれるようにできること考えなさい」と言ってきて。

―なかなか厳しい言葉ですね。

三浦さん:本人は冒険家なんだろうけど、息子をそんなに追い込むなよ…と話しているうちに無性に腹が立ってきて、思わずがちゃん!と電話を切りました。普通に切るだけじゃ腹の虫がおさまらなくて、何回もがちゃがちゃ!って。それでも足りず、足が痛いのに電話ボックスを蹴って。

そのまま歩いて宿に帰ったけど、あまりにもお父さんの言い草に腹が立って、怒りでいつの間にか普通に歩いていました。電話前は足を引きずっていたのに(笑)。

翌日の試合は、きつくて入らなかったスキー靴をのこぎりで切って出場したんです。痛みもあり、保守的で無難な滑りだったので、これじゃ絶対上位には行けないな、と思いました。他の2人は普通に滑ればワールドカップで10位以内の選手なので、どちらかがオリンピックに出るんだろうなと思っていました。

ところが、その時に一緒に滑っていた選手が相次いでコースアウトしてしまったんです。オリンピックに行こうと気合を入れすぎたのか、結果的には無難な滑りだった僕が一番いい成績になってオリンピック出場になりました。

それまで、お父さんからあまり何かを言われたことはなくて、僕が勝手に背中を追いかけていくような関係だったけれど、オリンピック最終選考で言われた「できない理由ばかり探していたら、できなくなるだけ。できるように工夫しなさい」という言葉は、それからの僕の考え方に少なからず影響していますね。

自身の子育てで意識していること

―お父様とのエピソードも踏まえて、今ご自身の子育てに役立てていることはありますか?

三浦さん:お父さんは本来、とやかく言わない人なんです。冒険家のお父さんから見たら、僕は至らないところだらけの子どものはずなのに、あまり言わない。
ただ、何も言わないというのは簡単なようで難しい。僕も子どもたちを山やいろんなところに連れて行ったりするけど、ついついとやかく言っちゃいます。本当に、見守る、口を出さないというのがいかに難しいかを実感しています。
うちのお父さんもおじいちゃんに、僕と同じように育てられたらしいのですが…放任主義は難しいところだな、と思いますね。

―ご家族のルールはありますか?

三浦さん:週末は家族で何かしよう!なるべく子どもと外に行こう!というのはあります。僕がいる週末は限られているので、いる時は必ず外のアクティビティをしようとしています。
ただ小さな赤ん坊を連れていると、移動もなかなか大変なので、「子どもが大きくなったら、海外に行ってこれを見せてあげたい」とか、色々考えていることはあるけどまだ実現させるのは難しいですね。

次の記事では、「三浦豪太さんの夢、そしてこれからの目標について」伺います。

PROFILE

三浦 豪太(みうら ごうた

1969年8月10日生まれ。プロスキーヤーであり登山家である三浦雄一郎さんを父に持ち、自身もスキーのモーグル競技において長野オリンピック13位、ワールドカップ5位になるなど活躍。その一方で、米国ユタ大学スポーツ生理学部を卒業、順天堂大学大学院で博士課程を取得した医学博士でもある。11歳で最年少のキリマンジャロ登頂を達成。2013年には、雄一郎さんと2度目のエベレスト登頂を果たし、世界初である親子で2度の登頂記録を樹立した。ソチオリンピックでの、独特な解説も話題に。NPO法人ナスターレース協会理事長。慶應義塾大学特任准教授。