有安諒平選手インタビュー(1)「ワンチーム」で競うパラローイングの魅力と視覚障害を個性と捉えたきっかけ

東京パラリンピックで実施される22の競技のなかに、「パラローイング」という2000メートルの直線レーンで順位を競うボート競技があります。あまり馴染みのない方も多いと思いますが、パラローイングの中でもPR3 4+(混合舵手付きフォア)には、ボートに乗り込む選手の規定に他の競技にはあまりない珍しい特徴があります。

PR3では、視覚障がい者と肢体不自由者がそれぞれ男女2人ずつ、そして性別や障害の有無を問わない舵手1人の合計5人がひとつのボートに乗り込みます。障害の種類やレベルが個々で異なり、健常者がチームに入ることもあるパラスポーツなのです(注:1名・2名のパラローイングは、下肢に障害のある選手が対象になります)。

今回インタビューした有安諒平選手は、視覚障害を持つパラローイングの強化指定選手として日々邁進する一方で、理学療法士として働き、さらには大学院で医学研究も行う「三足のわらじ」を履いたアスリートとして活躍しています。

エネルギッシュな毎日を送る有安選手を突き動かす原動力は何なのか。これまでの人生に迫りながら、紐解いていきたいと思います。前半である今回は、パラローイングの魅力と有安選手がパラローイングの選手になった経緯についてうかがいました。

個性豊かな選手が「ワンチーム」となって競えることがパラローイングの魅力

写真:チームメイトとの合同練習は息を合わせる貴重な機会

パラローイングというボート競技は、どういったスポーツなのでしょうか?

有安選手:パラローイングはよくカヌーと間違えられるのですが、カヌーとは異なりオールが船に固定してあります。座っている椅子が動くため(注:両下肢障害が対象のクラスは椅子が固定)、腕だけでなく脚の力も使う競技です。力が必要なんですが、同時にオールさばきの繊細な技術も必要になります。

パラローイングの魅力とは、なんでしょうか。

有安選手:性別も、障害の有無も、そしてこれまでの競技のバックボーンも異なる多種多様な選手が集まって、「ワンチーム」で競える点が魅力ではないでしょうか。

例えば男子と女子というだけでもボートを漕ぐ力は異なりますし、肢体不自由で片手でしかボートを漕げないメンバーもいます。それら選手の個性を見極めて、全体のバランスと動きを調整するのが、健常者も務めることができるコックスと呼ばれる舵手の役割です。選手たちの身長差はもとより、腕の長さのちょっとした違いでも、ボートを漕ぐと大きな差となって表れてしまうので、常に頭を使う難しい競技ですね。しかし、その難しさが醍醐味なので、そういった点に注目して見ていただくと、より面白いと思いますよ。

実は苦手だったスポーツに真剣に取り組む契機となったパラリンピック代表選手との出会い

パラローイングの魅力がよくわかりました。現在、日本代表選手として活躍する有安選手ですが、子どもの頃から運動神経抜群だったのですか?

有安選手:いえ、むしろスポーツは苦手分野でした。小学校の体育の成績は、クラスで後ろから数えたほうが早いというレベルだったんですよ。運動も好きではなかったので、体重が100キログラムを超えた時期もあったほどです。

現在からはとても想像できませんね!そこからスポーツ選手を志すまでに、どんなきっかけがあったのか気になります。

有安選手:はじめの動機はシンプルでした。少しダイエットをしたら体が軽くなったのでもっと身体を動かしてみようと思ったんですね。それが高校生のときでした。

ただ、15歳の時に発症した黄斑ジストロフィーの影響で徐々に視力が低下して、その頃には(身体)障害者手帳も交付されていました。視力にあまり関係ない競技ということで、19歳頃から視覚障害者柔道を始めました。

当初はパラリンピックに出たいとかそういう気持ちはなかったんですが、始めたばかりで出た大会で、パラリンピック出場経験のある選手と対戦する機会があって、数秒で負けたんです。

その時に、全く太刀打ちできなかったという気持ちとは別に、「自分と同じ境遇なのに、こんなに生き生きしている人がいるんだ」と思ったのです。

当時の私は思春期だったこともあり、障害をうまく受け入れられずにいたので、その選手の姿がすごく印象的でした。この対戦をきっかけに真剣に視覚障害者柔道に取り組むようになりました。

「障害」は、世界挑戦への「切符」になると思えた

写真:力強くオールを漕ぐ有安選手

現在の有安選手はとても生き生きしているように感じられます。やはり、スポーツとの出会いが前向きな気持ちにさせてくれたのでしょうか。

有安選手:そうですね。スポーツの力は本当に大きかったです。

もともと、障害と認定されても激しく荒れたり心底落ち込んだりということはなかったのですが、それでも障害者手帳は机の引き出しの奥の方にしまったままになっていました。障害者手帳を使うと日常生活でもサービスの割引を受けられたりするのですが、自分が本当に障がい者になってしまう気がして使いたくなくて。障害を受け入れることができてなかったんですね。

しかし、先ほどの選手との出会いがあって、さらに視覚障害者柔道を続けるうちに、あることに気づいたのです。

それは、障害はハンディキャップじゃなくて「切符」にもなるのだ、ということです。パラリンピックは障害がないと出場できない。その舞台に挑戦できるのは、障害という「個性」があるからこそなんだと。それなら、その個性という「切符」を使ってパラリンピックに挑戦してみよう、と思ったのです。世界挑戦への「切符」と捉えることで、障害に対してポジティブになることができました。

障害が「切符」ですか。有安選手らしい前向きで素敵な言葉ですね。では、現在取り組まれているパラローイングはどのような経緯で始めることになったのですか?

有安選手:当初は柔道でやっていくつもりだったのですが…あと少しのところで、どうしても代表選手にはなれず、パラリンピックに出場するチャンスを逃していました。どうしようかと思っていた2016年、東京都が主催した「パラリンピック選手発掘プログラム」に参加する機会を得ました。

競技人口を増やしたいなど、それぞれの事情を持った競技協会が、他競技の選手を誘致するためのプログラムなのですが、そこで色々なスポーツを体験する中で、パラローイングの関係者の方に声をかけていただいたことから、私のパラローイング競技人生が始まったのです。

私がパラローイングでパラリンピックに出場できるかどうかは、2020年の初夏に決まるので、まずは出場権を獲得できるように頑張ります。

視覚障害を持ちながらも、常にポジティブな姿勢で取り組む印象を受ける有安選手が、少年時代はスポーツが苦手だったというのは興味深いお話でした。パラローイングに興味を持たれた方は、日本ボート協会ホームページのパラローイングに関するページもぜひご覧ください。

日本ボート協会ホームページ(パラローイング)

インタビュー後半では、理学療法士の資格を取得した理由と、有安選手の活動のエネルギー源となっている「ある思い」などに、話を進めていきたいと思います。

有安諒平選手インタビュー(2)パラスポーツ・理学療法士・研究…人生を突き動かす「思い」とは?

PROFILE

有安 諒平(ありやす りょうへい

理学療法士・パラローイング(ボート競技)選手・学院生として活躍。
15歳で黄斑ジストロフィーを発症し、視覚障がい者としての認定を受ける。視覚障害者柔道を経て、パラローイングに競技転向。2017年にパラローイング協会より指定育成選手に選出され、2019年には日本ボート協会指定強化選手となる。
2020年のパラリンピック出場を目指す傍ら、東急イーライフデザインにて理学療法士として勤務し、また杏林大学医学研究科に在学して医学研究をしている。