【第4回】私と理学療法〜“生きていて良かった”、事故で両足を切断しても前を向いて進んで行く~

関谷雄大さん(右)と担当理学療法士の本村聖也さん(左)
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連載「私と理学療法」では、ご自身やご家族が、ケガや病気の治療で理学療法を受けた方の体験談をご紹介していきます。

第4回は、2023年7月に大きな労働災害に遭い、両足を切断された方の体験談です。車椅子と義足を使用した生活を余儀なくされながらも、理学療法を通じて徐々にできることが増えていき、現在も目標を持って前進されているというエピソード、ぜひご覧ください。

PROFILE

関谷 雄大さん(34歳・男性

愛知県在住
理学療法のきっかけ:勤務中の事故(左大腿切断、右下腿切断、右大腿部骨折)

“生きていて良かった”、事故で両足を切断しても、前を向いて進んで行く

仕事中に大事故に遭い、両足を切断

2023年7月6日、静岡県で仕事中に大事故に巻き込まれました。事故により、左大腿切断、右下腿切断、右大腿部骨折、そして左大腿部は皮膚移植となりました。

被災した直後は、静岡県立総合病院に緊急搬送されました。 当時僕を担当してくださった救急外来の医師から、左大腿切断と右下腿切断をおこなう旨を伝えられた記憶があります。その後、緊急手術となり、術後も輸血をしながらの治療が続き、次に僕が目を覚ましたのは事故から20日後の7月26日でした。

意識は戻ったものの、人工呼吸器を付けた状態だったので声が出せません。麻酔の影響かわからないですが頭がぼーっとして、目が覚めてからまったく身体が動かせませんでした。

「足はなくなってしまったけれど、生きていて良かった」

下肢切断断後、意識が戻ってきたころの関谷さん

それから1週間ほど経過したころ、自分の足の状態がわかりました。左足と右足を切断したためショックを受けるのかと思っていましたが、救急外来の医師から告げられていたことを覚えていたので、そこまで落ち込むことはありませんでした。むしろ、「足はなくなってしまったけれど、生きていて良かった」という気持ちが大きかったです。

その後も辛い治療が続きました。透析治療が始まり、水分制限もあって水が自由に飲めません。食事も流動食からのスタートです。あの時、最初に食べたブドウゼリーの味は忘れられないくらいおいしかったです。

一人でベッドから起き上がれない、身体を起こすこともできない。トイレも自分で行けないので、オムツに排泄してそれを替えてもらわなくてはいけない……。今まで普通にできていたことが何もできなくなる辛さを痛感する日々でした。

理学療法により変わり始めた生活

車椅子に乗れるようになったころの関谷さん

全身状態が安定し、2023年11月に愛知県の中部労災病院へ転院しました。そして、転院と同時期に理学療法が始まりました。

まずは車椅子を使用しながら一人で自立した生活ができるようになるため、上半身を鍛えるトレーニングと体幹を鍛えるトレーニング、プッシュアップ(座面に両手をつき、上肢の筋力で身体を支えながら臀部を上に押し上げ、再び元に戻す動作)で台の乗り移りをする練習を1カ月ほどおこないました。

徐々に身体の使い方がわかってきて、1カ月後には車椅子の自立ができるようになりました。それまでオムツと尿瓶で排泄をしていたので、トイレで排泄ができるようになり、本当にうれしかったです。

それからも徐々にできることが増えていき、今では義足を履いて歩く練習もおこなっています。最初は義足を装着するために、マットの上で断端部に荷重をかける練習から始めました。まずは大腿義足、それから下腿義足が完成し、次に平行棒で立つ練習、その後歩行練習という流れです。

足の切断部に荷重をかけるトレーニングをしているところ

歩行練習は、平行棒、歩行器、トレッドミル(※1)、松葉杖、両ロフストランド(※2)、片ロフストランド、杖なしと進みました。義足を装着する際に欠かせない、関節の機能の代わりとなる継手も、固定膝やトータルニー、ケネボー、ジニウム、パワニーといくつかの種類や機能を試し、段階を経て自分に合うものに変えていきました。理学療法は午前・午後とたくさんやっていただき、時間にするとリハビリ室には自主トレーニングも含めて毎日4時間ほどいた気がします。

義足での歩行練習は、最初はまったく上手くいかずイライラしたこともありました。しかし、担当してくれた理学療法士の本村さんとは年代が近いこともあり、話しやすかったので、互いに意見を交わすことができました。そして、できなかったことが一つ一つできるようになることがうれしかったです。

本村さんとは様々なことで互いに意見がぶつかり合うこともありましたが、本村さんの「今まで誰もやれていないことに挑戦していこう」という姿勢が励みにもなりました。義足を履き、初めてベッドから一人で車椅子に乗り移れたときのうれしさは、本当に忘れられません。振り返ってみると、このときの経験が僕にとって一番心に残っている出来事です。

※1 トレッドミル:屋内でランニングやウォーキングなどの有酸素運動をおこなうための器具のこと
※2 ロフストランド:手で掴むグリップと、前腕を固定するサポート部分の2点で身体を支える1本脚の杖のこと

ロフストランド杖を使って歩行練習をしているところ
階段昇降の練習を開始した関谷さん。両側下肢切断者が1足1段で階段昇降ができることはかなり稀で、両側下肢切断者が階段の昇降まで可能となった報告は国内で少ない。現在は1階から9階までの昇降が可能になった

義足のみの生活を目指し、社会復帰の一歩を果たす

義足が完成したころは、「基本的に車椅子で生活をして、たまに義足を履いて歩くようになれたら良いのかなぁ」という気持ちでした。しかし、理学療法を続けていくにつれ、いつの間にか「義足を履いて歩いて生活していけるのでは?」と思えるようになりました。

現在、ロフストランド杖を2本使用して歩行していますが、杖1本で歩けるように、さらには杖無しで歩けるようになれたらいいなと思っています。また、将来的には車椅子から離れた生活、義足を履いて外を歩き回れる生活を目標にしています。

また、仕事については、中部労災病院のリハビリテーション医の先生などから紹介いただいた縁もあり、社会福祉法人 太陽の家 愛知事業部に就職することができました。手のみで運転ができるように改造した自動車を運転し、1時間ほどかけて通勤しています。今後は、ステップアップして、こちらの社員になる予定です。仕事内容は主に自動車のキーケースの部品を取り付ける仕事をしています。

両足を失っても自動車を運転して、社会復帰ができるようになるということを、多くの方に知っていただき、励みにしていただきたいです。

目標を持って「挑戦」することの大切さ

リハビリ室のマシン(トレッドミル)で歩行練習をする関谷雄太さん

現在、理学療法を受けて頑張っている方もたくさんいらっしゃると思います。僕もそうでしたが、まず目標を作りましょう。 どんな小さい目標でも良いと思います。

最初はできなくてあたり前です。僕も車椅子で自立して生活ができない状態からスタートしましたが、理学療法を受けてできなかったことができるようになると、達成感もあって本当にうれしいです。そして、次はこれも……と、どんどん欲が出てくると思います。

理学療法士の本村さんの「誰もやれていないことに挑戦していこう」という言葉通り、僕自身も欲が出て様々なことに挑戦しました。両足を切断しているのに、階段を上がり下がりすることまでできるようになったのも、中部労災病院で本村さんに出会い、理学療法を受け、挑戦することができたからだと感じます。目標をたくさん作って、1つずつ達成できるように一緒に頑張りましょう。

また、入院している時から、義足を履いて社会復帰がしたいと思っていました。だから足がなくなっても大丈夫だという強い思いがありました。そして、周囲の人にも恵まれ、家族、友人、仕事の先輩、会社の社長、病院の先生方など、いろんな人に励ましてもらいました。その人たちに少しでも恩返しできるように、これからも頑張りたいと思います。

担当理学療法士からの応援メッセージ

お名前:本村聖也さん(独立行政法人労働者健康安全機構 中部労災病院)

義足を用いた歩行の獲得を目標に、私が提案する理学療法に熱心に取り組んでくださいました。 両下肢切断ということもあり、当初は松葉杖での歩行を目標にしていましたが、本人の努力もあり、ロフストランド杖を使用し、屋外での歩行が可能な状態までになっていただけました。また、階段昇降や自動車運転などにも挑戦していきました。自宅退院した後も外来リハビリで関わらせていただき、新たな職場へ就職するという社会復帰支援まで関われたのは、理学療法士をしていてよかったと感じた出来事です。

とてもポジティブで前向きな方なので、この体験談募集を紹介したところ、快く引き受けてくださいました。ご本人には冗談を交えて「今後はパラリンピックを目指してみないか」と話しています。新たな職場で慣れたころに、また新たな挑戦をしてくださることを楽しみにしつつ、いつか関谷さんの新たな挑戦をサポートできる日が来ることを心待ちにしています。

担当理学療法士として今後の関谷さんの活躍を期待しているのとともに、支えていけたら幸せだと感じております。

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