【第10回】みんなのリハビリ体験記〜冠動脈バイパス手術後、焦りで追い込まれた私を前向きにしてくれたアドバイス〜

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連載「みんなのリハビリ体験記」では、ご自身やご家族が、病気やケガによるリハビリをこうやって乗り越えた、こんな素敵なエピソードがあった、現在前向きに取り組んでいる…など、読者の皆さんのリハビリに関する体験談を紹介しています。

第10回は心臓冠動脈バイパス手術後にリハビリを受けられ、現在は病気の寛解を目指しつつ、発症前に活動されていたバスケットボール部の外部指導員に再挑戦している方の体験記をご紹介します。

PROFILE

小川 洋一郎さん (59歳・男性

東京都在住
リハビリのきっかけ:心臓の冠動脈バイパス手術

冠動脈バイパス手術後、焦りで追い込まれた私を前向きにしてくれたアドバイス

狭心症と診断され手術を決意

2022年、狭心症と診断されました。3本ある心臓冠動脈がすべて詰まっている三枝病変(さんしびょうへん)というもので、いつ救急搬送されてもおかしくないという状態でした。比較的若年での発覚ということもあり、平均寿命から心臓の耐用年数を考慮して心臓冠動脈バイパス手術に踏み切ることを決意しました。

胸部を切開して手術をおこなったため、手術後は痛みと麻酔の影響で、健康体なら簡単にできることもできません。手術直後は「何でこんなことになったんだろう」と過去と現在に縛られたまま、視界に映る病室の天井が滲んで見えました。

しかし、集中治療室にいる時から理学療法士の方が身体を動かすように促してくれました。すると、手術翌日から集中治療室内を歩行できるようになり、理学療法士や看護師の方々が、「驚異的な回復です。新記録ですよ!」と褒めてくださいました。回復していく私の姿を見て喜んでくれていることが伝わってきました。

精力的にリハビリをスタート

退院後は、手術を受けた病院に附属する心臓リハビリセンターに週1回通いました。筋トレとエクササイズバイクを中心としたリハビリをおこない、手術により落ちた体力、筋力と、平均以下となってしまった心肺機能の向上、栄養・生活指導による高血圧・脂質異常を含む体質改善を目指しました。

医師、看護師、理学療法士の方々が、バイタルデータのチェック、運動のペース、食事や日常生活についてフォローしてくれました。患者に寄り添いケアしてくださったので、心強かったです。

回復を焦り苛立ちが募る日々

入院中の小川さん。胸部には手術の傷跡が残る

狭心症と診断された時、私は定年退職を翌年に控え、本社から転勤異動となったタイミングでした。それから、椎間板ヘルニア、大腸癌、甲状腺機能障害、うつ病、そして、狭心症の心臓冠動脈バイパス手術と病魔に繰り返し襲われました。職場の立ち位置も閑職となり、本社で責任ある日の当たる会社員生活を送ってきたプライドは、身体と同様にボロボロになっていました。

定年退職後の雇用延長も見据えて、早期社会復帰と健康体への回復をイライラしながら目指す日々。病院でリハビリがない日は、自宅周辺を毎日10キロメートルほどウォーキングし、真夏もそれを続けました。家族もリハビリセンターのスタッフも「無理をしないで」と言ってくれましたが、体育会系の私は「無理をしなくてこの萎えた身体が再び鍛え上げられるもんか!」と食事も抜いて体力のピーク近くまで酷使。しかし、体重は医師が指定する体重にはほど遠く、一向に減りません。

体調も良くない日々が続き、覇気がなくなっている感じがしました。「私は何のために手術を受けたのだろうか。閑職にいて期待もされず、仕事もない。電話もメールも来ない。生還したのに私には社会的に価値がないのではないか。このリハビリに意味があるのだろうか…」と、生きる意味を見出そうとしながらも虚ろな私でした。

急性期を脱すると、今度は日常生活へと復帰していかねばなりません。押し寄せる複雑な感情や現実に戸惑い、迷い、誰にも話すことなく自己の深層に沈み込んでいく。臓器の機能喪失の危機を脱したことに安堵すると同時に、継続治療や回復過程、再発などへの不安、社会的地位や立場の揺らぎ、医療費と収入減への慄き、家族への自責など、様々な痛みや苦しみに苛まれました。立つことも歩くことも、こんなに大変だとは思いませんでした。

理学療法士の助言で前向きに

そんな中、何気ない会話から私の様子に気がついた担当の理学療法士の方が、管理栄養士、看護師とミーティングをしてくれて「燃焼させるエネルギー源がないと脂肪を燃焼させられない。しっかりご飯を食べないと痩せないし、体力の回復、血液検査の結果の改善に結びつかない」ということを教えてくれました。

そして、愚痴や弱音に耳を傾けつつ、機能回復への目標を提示してくれました。これが短期的に生きる目標となり、目の前のことに集中できたのです。できた喜びをかみしめながら、回復していく力を身体から感じました。

また、長年一生懸命に働いてきた身体の疲労を癒して、これからも続く余生を楽しく幸せに生きるためにも、誰のためでもない自分と真摯に向き合うことを、娘の歳と変わりない理学療法士の方が、やんわりと笑顔で話してくれました。

「私は若いから小川さんのお年の方に言えることなんてありませんが、ここまで頑張ってきたんですから、少しゆっくり歩きましょう」と、早く回復したくて焦る私の肩の力を抜いてくれました。社会から脱落したような焦りや孤独に寄り添ってくれ、大切な気づきをくださったなと感謝しています。

寛解を目指して、ポジティブに毎日を過ごす

それからは気持ちも落ち着き、ポジティブになり、明朗さを取り戻しました。手術後3カ月から現在まで、スポーツジムに週6日通っています。引き続き、筋トレ、エクササイズバイクをおこなっており、負荷等は理学療法士の方にメニューとして作ってもらったものを今日までベースにしています。手術時には身長180センチメートル・体重90キログラムあった私が、今では体重66キログラムと標準体重になりました。

また、定年退職を迎えてからは、病気になる前に携わっていた中学校女子バスケットボール部の外部指導員に復帰しました。選手達と勝利の喜びを再び味わえたらいいなと思っています。

リハビリの日々の心情を振り返る

改めて病気、そして手術を振り返ると、たくさんの医療スタッフの方々に繋いでもらったこの命。私にとってリハビリは、人体として生き続けること、加えて、自分探しの旅に勇気と気づきを与えてくれたものでした。

また、笑顔で褒めて、一緒に喜んでくださった理学療法士のおかげで、気持ちも前向きに穏やかになりました。まるで、台風で大荒れの真っ暗な海に灯った暖かい灯火(ともしび)のように「こっちです」と指し示してくださったようでした。医療現場で今日も奮闘する多くの理学療法士の方々には、これからも患者の灯火であり続けてほしいです。

実は先日、手術から1年後の検査を受けたところ、新たに2カ所の動脈狭窄がわかりました。かなりのショックを受けましたが、心筋の機能を評価するための運動負荷心筋シンチグラフィをおこない、今後の治療方針を決めます。最悪は再び開胸手術となり、まだまだ終わりませんが、「過去を振り返っても仕方ない。顔を上げて前に歩く」という思いを胸に、寛解に向かい頑張りたいと思います。

※みんなのリハビリ体験記に寄せられた体験談の内容は個人の感想であり、投稿者様自身でおこなった自主的なトレーニング等に関しましては、効果・効能を保証するものではありません。

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