【前編】有安諒平選手インタビュー 「ワンチーム」で競うパラローイングの魅力と視覚障害を個性と捉えたきっかけ
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「障害」は、世界挑戦への「切符」になると思えた
現在の有安選手はとても生き生きしているように感じられます。やはり、スポーツとの出会いが前向きな気持ちにさせてくれたのでしょうか。
有安選手:そうですね。スポーツの力は本当に大きかったです。
もともと、障害と認定されても激しく荒れたり心底落ち込んだりということはなかったのですが、それでも障害者手帳は机の引き出しの奥の方にしまったままになっていました。障害者手帳を使うと日常生活でもサービスの割引を受けられたりするのですが、自分が本当に障がい者になってしまう気がして使いたくなくて。障害を受け入れることができてなかったんですね。
しかし、先ほどの選手との出会いがあって、さらに視覚障害者柔道を続けるうちに、あることに気づいたのです。
それは、障害はハンディキャップじゃなくて「切符」にもなるのだ、ということです。パラリンピックは障害がないと出場できない。その舞台に挑戦できるのは、障害という「個性」があるからこそなんだと。それなら、その個性という「切符」を使ってパラリンピックに挑戦してみよう、と思ったのです。世界挑戦への「切符」と捉えることで、障害に対してポジティブになることができました。
障害が「切符」ですか。有安選手らしい前向きで素敵な言葉ですね。では、現在取り組まれているパラローイングはどのような経緯で始めることになったのですか?
有安選手:当初は柔道でやっていくつもりだったのですが…あと少しのところで、どうしても代表選手にはなれず、パラリンピックに出場するチャンスを逃していました。どうしようかと思っていた2016年、東京都が主催した「パラリンピック選手発掘プログラム」に参加する機会を得ました。
競技人口を増やしたいなど、それぞれの事情を持った競技協会が、他競技の選手を誘致するためのプログラムなのですが、そこで色々なスポーツを体験する中で、パラローイングの関係者の方に声をかけていただいたことから、私のパラローイング競技人生が始まったのです。
私がパラローイングでパラリンピックに出場できるかどうかは、2020年の初夏に決まるので、まずは出場権を獲得できるように頑張ります。
視覚障害を持ちながらも、常にポジティブな姿勢で取り組む印象を受ける有安選手が、少年時代はスポーツが苦手だったというのは興味深いお話でした。パラローイングに興味を持たれた方は、日本ボート協会ホームページのパラローイングに関するページもぜひご覧ください。
インタビュー後半では、理学療法士の資格を取得した理由と、有安選手の活動のエネルギー源となっている「ある思い」などに、話を進めていきたいと思います。
PROFILE
有安 諒平(ありやす りょうへい)
理学療法士・パラローイング(ボート競技)選手・学院生として活躍。
15歳で黄斑ジストロフィーを発症し、視覚障がい者としての認定を受ける。視覚障害者柔道を経て、パラローイングに競技転向。2017年にパラローイング協会より指定育成選手に選出され、2019年には日本ボート協会指定強化選手となる。
2020年のパラリンピック出場を目指す傍ら、東急イーライフデザインにて理学療法士として勤務し、また杏林大学医学研究科に在学して医学研究をしている。
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