【第3回】みんなのリハビリ体験記〜目標と希望が見えた小児がんのリハビリテーション~

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連載「みんなのリハビリ体験記」では、ご自身やご家族が、病気やケガによるリハビリをこうやって乗り越えた、こんな素敵なエピソードがあった、現在前向きに取り組んでいる…など、読者のみなさんのリハビリに関する体験談を紹介しています。

第3回は、お子さんが小児がんとなり、抗がん剤治療や生体肝移植、術前術後のリハビリテーションを経て日常生活を取り戻した方の体験記をお伝えします。

PROFILE

ペンネーム:がんサバイバーの父親 さん (43歳・男性

京都府在住
リハビリのきっかけ:お子さんの小児がん治療における生体肝移植

目標と希望が見えた小児がんのリハビリテーション

突然、妻から泣きながら電話が…

日本で新型コロナウイルス感染症が広がり始めた頃、ある日突然妻から泣きながら電話がかかってきました。当時5歳の娘に、小児がんの疑いがあるとの連絡でした。

娘は翌日から入院となるため、その日は家族そろって入院前の夕食をとりました。メニューは娘の大好きな焼き鮭と炊きたての白ご飯。3歳と7歳の息子や娘は喜んで食べていましたが、妻と私は「これが家族5人で食べる最後の夕食になるかもしれない…」そんなことを思い、ほとんど食事が喉を通りませんでした。

抗がん剤治療が始まり、歩くこともままならない日々

お子さんの食欲が出るようにと、ご両親が作ったハート形のパン

翌日から、親子の辛い入院生活が始まりました。コロナ禍のため、入院している他のお子さんと遊ぶことも制限され、数日間はベッドの上でただただ退屈な日々を過ごしました。

程なくして、抗がん剤治療が始まりました。娘は食欲が徐々になくなり、やがてほとんど何も食べられない状態になりました。妻と私は、娘が大好きなファストフード店のチキンナゲットなど、食べられそうな物は何でも差し入れをしましたが、結局食べられるものはほとんどありませんでした。

保育園ではあんなに元気に走り回っていた娘が、ベッド柵を持ちながら1~2メートル歩くのが精一杯になり、日々弱っていく娘の姿を目の当たりにして、早く抗がん剤治療が終わってほしいと思っていました。体力が落ち、免疫力が低下して感染症に罹り、最悪の場合死んでしまうかもしれない…。という考えが頭をよぎったのを覚えています。

娘が少しでも元気になればと、ピンチハンガー(洗濯物干し)に小袋のお菓子を吊り下げてお菓子屋さんごっこをしたりして、興味のあるものを少しでも食べてさせていました。

生体肝移植が助かる道。私の肝臓を娘に移植することに

抗がん剤治療が終わると、医師からは「生体肝移植でのみ、お子さんの命が助かる可能性がある」と告げられ、私の肝臓を移植する決意をしました。

移植手術は朝8時半から始まり、終わったのは22時半。14時間にも及ぶ大手術でした。

手術の翌日、娘のいるICU病棟から別の病棟で入院していた私に連絡がありました。「お子さんの人工呼吸器を抜きました。うわ言で『とうと、とうと(お父さん、お父さん)』と呼んでいます。ICU病棟まで娘さんに会いに来ることはできますか?」とのことでした。私も腹部を大きく開いて手術をしており強い痛みがありましたが、看護師さんに車椅子を押してもらって何とか移動し、娘に会いに行きました。

病室に入ると娘の目は開いておらず、うわ言で何かを言っていました。娘の手を握りながら、名前を呼びました。私も涙がポロポロと出てきました。

「娘は生きている。術後のひとつの関門である人工呼吸器から離脱でき、一歩進んだんだ!!」と思いました。自分自身も冷や汗をかくほどの強い痛みがありましたが、 そんな痛みも忘れて娘の手を握ったりさすったりしていると、ようやく安心したのか娘は眠り始めました。

絶望しかない家族を支えたリハビリテーション

リハビリで使用していたジャングルジム

理学療法と作業療法は移植前から開始され、担当の方からリハビリテーションの進め方などを丁寧に説明していただきました。不安を取り除くようにお話しいただき、絶望しかなかった家族に“目標”と“希望”が見えたと感じました。

移植後、娘の全身状態が落ち着いた頃から、痛みに耐えながらベッドの端に座る練習が始まりました。理学療法士の方にメニューや注意点などを事前に教えていただき、休みの日には私や妻が代わりにおこないました。この時のリハビリが早めの退院に結び付いたと思っています。

娘はリハビリを楽しみにしており、入浴時間がリハビリの時間にぶつからないように、調整していました。理学療法室に車椅子で行けるようになってからは、体力のない娘が飽きないようジャングルジムなどの遊具を使ったりしながら、多彩なメニューで歩く・登る・ジャンプなどの練習をしていただきました。

実は当時の娘は、父親以外の大人の男性が少し苦手でした。理学療法ではベテランの男性スタッフが担当してくださったので最初は心配していましたが、娘の好きなお絵描きと運動の時間を組み合わせるなどメリハリをつけながら進めてくださり、退院までリハビリを拒否することは一度もなく頑張ることができました。

今では元気な一年生に!これからの健康を願って

理学療法士や作業療法士の方が根気よく向き合ってくださったおかげで、退院後、娘はピカピカの小学一年生になりました。入学当初は登校班の子どもたちと同じペースで歩くことが難しく、両親がベビーカーに乗せて通学していましたが、今年1月からは、毎日登校班の皆と一緒に歩いて学校に通っています。先日も私と手をつないで、大好きなテレビアニメの歌を歌いながら下校しました。

最近は身長も伸び始め、体力もついてきました。以前は公園に行っても30分程度で疲れて帰ってきていましたが、今では屋外で一日中遊んでいます。2桁の足し算など算数の勉強にもチャレンジできるまでに成長しました。これからも健康に過ごしてほしいと思っています。

コロナが落ち着いたら、家族旅行にも行きたいです。娘はお風呂でゆっくりと温まることが好きなので「温泉のあるホテルに泊まりたい」と言っています。私自身は娘と二人でカフェに行き、ケーキを食べながらガールズトークをするのが夢です(笑)

おわりに

今回は、小児がん治療の一環で生体肝移植をおこなった投稿者のお子さんが、つらい治療を乗り越えて無事小学校に入学するまでの体験談をご紹介しました。

お子さんの小さな体が持つ回復力にも驚かされましたが、ご両親の愛情溢れる看病の様子が伝わってくる体験談でした。現在娘さんは元気に小学校に通っているとのことで、ご家族やお友達と毎日楽しく過ごしてほしいなと思います。いつかご家族で行く温泉旅行も、とても楽しみですね。

ご紹介した体験談が、現在治療中や闘病中の方、リハビリに励んでいる方の励みになりますように。
次回もお楽しみに。