【第9回】みんなのリハビリ体験記〜バイク事故から約1年間に及ぶリハビリを経て、聖火リレーにもチャレンジ!~

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連載「みんなのリハビリ体験記」では、ご自身やご家族が、病気やケガによるリハビリをこうやって乗り越えた、こんな素敵なエピソードがあった、現在前向きに取り組んでいる…など、読者の皆さんのリハビリに関する体験談を紹介しています。

第9回は、左腓骨遠位端骨折(ひだりひこつえんいたんこっせつ)で約1年にも及ぶリハビリを乗り越えて、現在は仕事やプライベートで様々なことにチャレンジされているという方の体験記をご紹介したいと思います。

PROFILE

宮地 瑠璃子さん (37歳・女性

佐賀県在住
リハビリのきっかけ:左腓骨遠位端骨折(足の骨折)

バイク事故から約1年間に及ぶリハビリを経て、聖火リレーにもチャレンジ!

バイクで転倒し左足を骨折

2007年のある冬の日のことでした。バイクで出かける際、暖機運転不足が原因で発進時のバイクに突如ロックがかかってしまい、その反動で転倒しました。そして、たまたま左足関節がバイクの下敷きとなり傷を負ってしまいました。

転倒した直後は、いったい何が起きているのかしばらく理解できませんでした。あまりの衝撃で状況を把握するのに時間を要しました。しかしながら、バイクの下敷きになって動かなくなっている足に気づいた瞬間、左足の関節に激痛が走り、転倒した事実と骨折しているかもしれないという不安で、情けなさと悲しさで涙したことを覚えています。

診断名は左腓骨遠位端骨折でした。手術をおこなわない保存療法でしたので、入院はせずに外来通院のみで治療をおこないました。

松葉杖での生活を余儀なくされた日々

骨折した部分をギプスで固定し、両脇に松葉杖で身体を支える生活を余儀なくされました。左下肢完全免荷(損傷部分に体重をかけないこと)で、松葉杖での歩行は何もかも未知の世界であり、普段知る由もない不自由さを初めて経験しました。

今でこそ、洋式便座が当たり前ですが、骨折した当時は世の中にまだバリアフリーが浸透しておらず、和式便座や手すりのない場所が普通に存在していました。当時の官公署にもエレベーターがない場所が当たり前に存在し、どんなハンディを持とうとも階段を使って移動しなくてはならないような、バリアだらけの世界でした。

その頃は一人暮らしをしていたのですが、玄関ドアの開閉だったり、手荷物の搬送だったりで苦労しました。買い出しの際には、カートは押せるのですが少しずつしか押せず、ブレーキがないため、あらぬところにカートが行ってしまうなど、とにかく日常生活のあらゆる場面で不自由さを感じました。

理学療法士との出会いで、つらい治療も前向きになれた

当時、引っ越し等の関係により、完治までに病院を3カ所変わりましたが、それぞれリハビリのスタイルが違いました。私の場合は保存療法でしたので、完治するまでに1年間くらいかかりました。

最初の病院では、まずギブスで固定し、松葉杖での歩行をおこないました。2カ所目では、物理療法(干渉波治療やSSP療法)を受けました。そして3カ所目では、運動療法(関節可動域練習、筋力増強運動、座位・立位バランス練習)、リラクゼーション、ストレッチ、装具療法(両側支柱付き装具を使用)を受けました。

なかなか痛みが治癒しないため、本当に完治できるのか不安でいっぱいでした。地面に足を付けない完全免荷から、少しずつ身体の重さで負荷をかけていく部分荷重、全体重をかける全荷重と身体への負担の大きさを徐々に大きくしていく経過の流れでしたが、全荷重になっても足関節の不安定さが見られたため、両側支柱付きの装具を2回に分けて作ってもらい、歩いたり走ったりする際は、不安感がなくなるまで使用していました。

その時担当してくださった理学療法士の方は、運動療法・物理療法などといった理学療法の治療はもちろんのこと、キラキラと眩しいくらいの優しさで、くじけそうな私を何度も励ましてくださいました。

理学療法士の方は女性で私と同い年とは思えないほど礼儀正しく、とても優しくて天使のような方でした。「お仕事大変でしょうけど、応援しています。一緒に頑張りましょう」と、常に敬意を持って接してくださる姿勢に、大変心が救われました。

完治まで時間を要しましたが、理学療法士の方のサポートにより乗り切ることができたと感じています。

快復した足で様々なことに挑戦!

リハビリ期間中、私はずっとお世話になった理学療法士の方に感謝の気持ちを抱いていました。そうした毎日を過ごす中で、感謝の気持ちをダイレクトに伝えられる仕事に就きたいと思うようになり、理学療法士を目指すことを決意しました。理学療法士の養成校で学んだ勉強はとても大変でしたが、猛勉強し国家試験に合格することができました。

私はいろいろなことにチャレンジすることが好きで、2019年に運動器理学療法、2022年にリンパ浮腫の認定試験に合格しました。これからも様々なことにチャレンジしていきたいと思っています。

2021年は、「東京2020オリンピック・パラリンピック聖火ランナー」にチャレンジしました。聖火ランナーに応募したのは、患者さんに挑戦し続ける勇気とエネルギーを与えたいと思ったからです。「アスリートではない、こんな私でも聖火ランナーができるのよ。みんな頑張ろう」という思いを胸に走り、後日聖火リレー報告会にもチャレンジしました。私の頑張りが誰かの活力になるという気持ちで、チャレンジの連鎖を生み出せる存在になりたいです。

「東京2020オリンピック・パラリンピック聖火ランナー」にチャレンジされた宮地さん(前列中央)

理学療法士としても、地域に暮らす一人の人間としても、様々な理由でハンディを負い、それを克服しようと全力で取り組んでいる方々を応援したいと思っています。仕事や資格の取得、いろいろなチャレンジを通して、身体や生活の回復が思うように進まずに落ち込んでいる方々に寄り添い、手厚くサポートできる存在でありたいです。

※みんなのリハビリ体験記に寄せられた体験談の内容は個人の感想であり、投稿者様自身でおこなった自主的なトレーニング等に関しましては、効果・効能を保証するものではありません。

おわりに

今回は、バイクの事故による足の骨折から約1年に及ぶリハビリを経て快復され、理学療法士の方との出会いをきっかけにご自身も理学療法士として活動し、聖火リレーまで挑戦された方の体験記をご紹介しました。

宮地さんの挑戦は、同じように骨折をされた方にとって大きな励みになることでしょう。聖火ランナーとして走れるようになるまで努力をされた宮地さんの、「私の頑張りが誰かの活力になるという気持ちで、チャレンジの連鎖を生み出せる存在になりたい」との言葉が大変印象的でした。これからもたくさんのことに挑戦していただきたいと思います。

ご紹介した体験談が、現在治療中や闘病中の方、リハビリに励んでいる方の励みになりますように。
次回もお楽しみに。