【後編】東日本大震災から13年。利用者さんにとって何が一番の幸せか考え続けたい~理学療法士・石田英恵さんインタビュー~

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リガクラボでは、東日本大震災でボランティアを経験した後、岩手県宮古市の訪問リハビリステーションの職員として勤務し、一度は東北を離れたものの、再び岩手県宮古市へ戻られている「宮古・山田訪問看護ステーションゆずる(以下、「ゆずる」)」の理学療法士・石田英恵さんにインタビューをおこないました。

前編では、石田さんが「ゆずる」に入職したきっかけや、再び東北に戻られたときの思いなどについてお話しいただきました。後編となる今回は、理学療法士が災害時にできることや、石田さんが今後どのように活動されていきたいかなどについて伺っていきます。

(本記事には、震災時の写真等、地震・津波の描写、表現がありますことをお断り申し上げます)

PROFILE

石田 英恵さん(いしだ はなえ)

石田 英恵さん(いしだ はなえ

■現在のお仕事
一般財団法人 訪問リハビリテーション振興財団 
宮古・山田訪問看護ステーションゆずる 統括管理者、理学療法士
■経歴
2006年4月 医療法人全国社会保険協会連合会 三島社会保険病院 入職
2013年4月 一般財団法人訪問リハビリテーション振興財団 宮古・山田訪問リハビリステーションゆずる 入職
2019年6月 公益財団法人日本理学療法士協会 入職
2023年7月 宮古・山田訪問看護ステーションゆずる 入職、現在に至る
■支援活動のおもな期間と地域
2011年5月21~28日 宮城県気仙沼市
2011年8月8~10日 宮城県気仙沼市

災害時に理学療法士としてできることとは

引き続き、「ゆずる」での活動についてお聞きしていきます。2013年最初に「ゆずる」に入職された当時と比較すると、現在は幅広い方のリハビリテーションに関われるようになったと伺いました。理学療法士が被災地の支援活動に関わることで、当時被災された地域や住民にとってどのように役立てると感じましたか?また逆に、現在課題として感じられることがあればお聞かせください。

石田さん:2011年に東日本大震災のボランティアで入った時に感じたことですが、不活発な生活による身体機能低下や、生活環境が変わったことで床からの立ち上がりが大変になっている方がかなり多かったと記憶しています。動作方法のアドバイスや、生活環境の調整といった部分は、理学療法士としての専門性を発揮できたと思います。しかし、本当は身体機能が低下してしまう前に、住民の方や他の職種とも連携して、生活不活発病などを予防できるほうが望ましいです。そのためには、普段からの連携が大事だと思っています。

そして今課題だと感じているのは、災害時に逃げることを諦めている方がいらっしゃることです。いわゆる災害弱者と言われる要介護5の方や、ベッドの上で生活されている方に伺うと「逃げるのはもう無理」とおっしゃるんです。これに関しては事前に行政と連携して、安全な移動方法などを考えておかなければいけないと思います。

石田さんのお仕事中の様子。膝の痛みが強く、立ち上がりが困難な利用者様に声掛けをしながら、両膝の曲げ伸ばしをおこなっている

様々な災害に対応した安全対策や避難の仕方など、まだ課題があるのですね。2024年1月1日には石川県の能登半島で地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。日本理学療法士協会では、日本災害リハビリテーション支援協会(JRAT)の支援活動に協力していますが、復興には長い時間がかかりそうです。石田さんご自身が考える、理学療法士ができる"被災地に必要な支援”とはどんなことでしょうか?

石田さん:東日本大震災の時もそれほど大したことはできていないんですが、やはり「傾聴」が一番大切だなと感じます。こちらから被災者の方たちに気持ちをいろいろと掘り下げて聞いてしまうと、その後のフォローができない無責任な行為になってしまうと思うんです。

しかし、被災者の方のお話をありのままに聞くということは、その時にできることの一つだなと感じました。被災地の支援に入るとどうしても、何かしなくては、こちらからアプローチしなくてはという感覚になりがちですが、それはニーズに合わない活動につながる危険があります。「少しでもお役に立てることがあれば、お手伝いさせていただきます」くらいの謙虚な気持ちでいることが大事なのではないかと思います。

これは最初にボランティアに行った時に、現地のコーディネーターの理学療法士の方が丁寧に注意喚起してくださいました。ボランティアに入る前にこういった心構えを教えてくれる方がいると助かりますよね。

また、もっと視野を広げなければいけないなという風に感じています。例えば、避難所で良かれと思って手すりやスロープなどを取り付けても、必要な方には役に立つのですが、他の方からは「なんだ、これは邪魔だ」と受け取られてしまって、クレームにつながることがあるので、慎重に検討する必要があると感じました。

また、その場限りの支援にならないよう、注意しないといけないと思っています。2011年にボランティアに行った気仙沼市の場合、リハビリテーションの資源が当時はほとんどありませんでした。そこに一時的に手厚い理学療法を提供してしまうと、その支援がなくなった後、どうするんだという問題が生じます。継続していける仕組みづくりが欠かせません。

最終的にはその方が自立できるように支援していくのが目標です。私の最近のテーマでもあるのですが、将来を見据えて、利用者の方にとって何が一番の幸せになるのかということをしっかり考えて支援をしていきたいと思っています。

「ゆずる」主催でケアマネジャーを対象に「地域リハビリテーション研修会」を開催した時の様子。床からの立ち上がりの介助方法について、ケアマネジャー同士で介助し合ってもらい、ゆずるスタッフが助言などをおこなった

誰もが幸せを感じられるように。石田さんの今後の目標

その場限りではない、利用者の方の幸せを実現する支援が大事なのですね。最後の質問になりますが、石田さんは今後理学療法士として、「ゆずる」でどのような活動をしていきたいですか?

石田さん:「ゆずる」では、先述した通り、初めから被災地を支援するという気持ちよりは、医療・介護資源の乏しい地域で、必要な人に、必要な時、必要な量のリハビリテーションを提供するために、どうしたら良いかというのを日々悩みながら活動していました。その思いは今も変わらず持ち続けています。

それを達成するには、私一人では大したこともできないと思っていますので、事業所内の頼れる看護師はもちろん、より多くの他職種の方も巻き込んで、最終的に関わった人たちみんなが良かったねと思える、幸せになるような町づくりができたら良いなと思っています。

「宮古・山田訪問看護ステーションゆずる」の皆さん。前列一番左にいらっしゃるのが今回インタビューに登場いただいた石田英恵さん
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